最近、というか5月はわりと日記書いてる
思ったこと、あったこと全部書くわけではない
全記録ではなくとも、気ままに書くのがたのしい

日記もツイッターも、今日まじ何も書けんなー書くことないなーという日があって
実際そういう日は何も書かない(というか書けない)んだけど
本当は、細かくて些細なこと、意識の水面に顔を表さなかった微細な感覚を、
感受性の網の目から取りこぼしてるだけなのかもしんない…などと反省する
↑書いてて思ったけどまじ面倒くさい性格だな
でも私が好きな作品とか表現って、
そういう、無かったと思えば無かったことになってしまいそうな感覚とか記憶を
細やかにすくい上げて描いてくれて、それが気持ちいいんだよな

漫画のネタをメモしようと思ってもメモすること自体を忘れてしまいがち
体感する方に全集中してしまって、それを客観的に見つめて記録する、っていうのがむずかしい
いやふつうにむずかしくないか?
あと言語化もむずかしい
いいなと思ったものを撮ったんだから写真でいいや、となるときもある

福満しげゆき先生の漫画とか読んでると、
妻の行動を見て「あっこれはネタになるな」と思ってからの微細な記録(+のちの漫画での演出力)がすごい
観察力という意味で、あれは観察日記なんだろう

ツイッターはあれだ
なんの気無しにつぶやいたことがあとで「うわ、これネタにできたかも」と思って、
安易につぶやいて消化してしまうんじゃなかった、と思うことがある
いや、別につぶやいたあとでも漫画にすればいいじゃん、とか
鍵をかけたアカウントで記録してそれを漫画にすれば、とかいう問題でもない
つぶやいた時点で自分のなかでは消化されてしまうんだよな

前に読んだコードギアスの谷口監督のインタビュー記事で、
「つぶやくのをやめて、溜めて、溜めて、溜めて……それを作品にすればいいんですよ。」
って言ってたんだけど、それを思い出す
あと荒木飛呂彦先生の、言いたいことは漫画で言えばいいからSNSはやらない、っていうのも
そういう意味では、私はカロリーとかコストの低いアウトプットを繰り返しているかも
とはいえアウトプットのハードルが上がりすぎるのもよくないが
人それぞれのスタイルがあってよい前提だけど、上手くやれんわ〜そこんとこ

SNSとかツイッターは本気で向いてないと思ってる(から適度な距離を保っている)
でもいろんな人に出会えたり、嬉しいことを言ってもらえたり、楽しいこともたまにあるんだよな
むずかしいね…