今日で8月が終わった

「岡崎に捧ぐ」がすっごく面白かったので3巻まで一気読みした
すげーゲームやってるな〜この人と岡崎さん
私のゲームの思い出は自分というよりも兄ちゃんのゲーム史に付随しているので、
気になってもやってないゲームとか腐るほどあったなと思った

話もどって
読みながら、誰もがそうであるように、自分の小学校から高校の頃のことが頭を駆け巡った
こないだまでは…と言っても、そうだな
「大学を出て最初に入った会社くらいまで」が今から見た「こないだ」なんだけど
考えて見たらそれだってだいぶ昔だよな
でもその「こないだ」の私にとって、小学生〜高校生くらいの学生時代のことはまだ、「ほんのついこの前」という感覚だった
とくに小中は同じ学区でメンバーがほぼほぼ一緒だったし、小学校が9年間続いたという気さえした
別の中学校に行く子が卒業式で泣いていたな
でもまあやっぱり、中学生になるとみんな変わるけど
私も中学の頃にピチレモンとかmyojoとか読んでる友達と遊んだら、自分の服がクソダサくて恥ずかしかったな
上が茶色のトレーナー、下が赤紫色のズボンを着た私が、
ウォーリーを探せ!の絵が描いてある赤い自転車にまたがって横断歩道で笑われた姿を、思い出す
いま、毎日通勤で山手線の原宿駅を通り過ぎるけど、
原宿でいそいそと降りていく小学生や中学生がたくさんいる
夏休みだからかもしれん
今日で8月は終わりだけどね

あの日の私が今日の私でもあるのだけど、本当につながっているのかという気がする
呆然とする
別に「あの頃は眩しかったな、よかったな」みたいにも特に思わない
あの頃はあの頃で辛いことも嫌なこともたくさんあったし、今よりいっぱい嫌いな人とかいた気がするし悪いこともした
いっぱい傷ついたり、いろんな人を雑に傷つけたりもした
それに今さらになって気付いたりする
ただ、ひたすらに、生きるのが初めてで、何もかもが新鮮だっただけなのかもしれない
今は新鮮なことが少ないのかもしれない
そう思う

今は稼いだお金でいろいろ手にして、特に生活には困っていないけれど、
毎日に「自分だけの何か」的なものが感じられない

みんなはそれを持っているのかな?と思うと羨ましくて、
ツイッターなんか見ちゃうとみんな楽しそうで(楽しそうな人をたくさんフォローしている)、
それを見ているのが楽しいんだけど、いつのまにか自分は見ているばかりなのがとても辛くて、
ほんとうにいつのまにか、朝起きると胸が苦しかったりするのだよね
大人がよくあるやつです
アレです くうきょ
やさしい文章やおもしろい漫画を描く人が「そんなことはないんだよ」「みんなもがいている」「あなたは一人じゃない」なんて言ってくれるけど、
そんな事実は寂しさには役立ちませんし、
その寂しさはやっぱり自分から生み出した何かが拭わないと、晴れないのだった
拭えー、拭い去るのだー だーだー(エコー)

藤岡弘がコーヒードリップするとき
一滴一滴に「ありがとう」って言ってる(?)話好きなんだけど、
もし私から何かがドリップされるんだったら、
たしかに私も「ありがとう」って言っちゃうね
うっすいコーヒーかもしれんけどね
まずは熱いお湯を一杯