あぢ〜

オリンピック
あんまりというかほぼ観ていないのだが、テニスとゴルフは興味があって、今日は男子ゴルフを見ていた
ゴルフに限らず、この猛暑の中プレイするというのが本当につらそう
いや絶対につらい
ゴルフに関してはほぼ丸一日中炎天下に身体を晒し、18ホールを4日連続でプレイする…
まずそれだけですさまじい
みんな真っ黒に日焼けしているし、海外の選手はうなじのあたり火傷したみたいになっていてヒエェ…となった
一挙手一投足のたびに汗を拭っていて、この苛酷さが忍ばれる
ていうか自分など、屋内にいるだけで死にそうなのにな

本当は自転車とかスケボーも興味あって観てみたかったけど時間をチェックするでもなく、普通に忘れてたら終わってた
こういう、日時が決まっているものに気をつけて見るというのが本当苦手

出たばかりの、panpanya先生の新刊「魚社会」を読んだ

魚社会

相変わらず面白かったー
いつも、panpanya先生が気になったことや思いを巡らせたことが、panpanya先生でしか表現し得ないかたちで作品になっている
そのことに魅了されるし、なんだかとても安心する
いや…そもそも作家や作品というのはそういうものなんだろうけど…
なんていうか、panpanya先生の場合、その着眼点がとてもパーソナルで、共感してもらおうとかウケをとってやろう、というものがほとんど感じられない(だけど面白い)
私なんかも、日々生きていて、たとえば電車に揺られているときにふと目に入った車窓の風景とか、街で見かけたものとか食べてるものだとか、そういうものに対してささやかな気づきやそういった思考が頭を掠めたりするけど
panpanya先生の作品は、自分のそういう感覚に当たり前のように耳を傾けて、それをマイペースに探求することの素朴な楽しみや喜びに満ちている
誰もがうっすら無意識では感じていても意識するところまではいかない、そういう曖昧なところからハッキリ意識するところまで引っ張り上げて、なおかつこんなユニークな作品に落とし込める感性が素敵だなと思う
今回も掲載されているカステラ風蒸しケーキの一連の話や「グヤバノ・ホリデー」もそう
自分が「これおいしいなー」と感じているものを、詳しく調べて、探して、ひたすら追い求める……
ただそのことが、こんなに日々を充実させるんだなーと感動する
ちょっと大げさな表現になっちゃったかもしれないけど
私自身が、こういう感覚を忘れがちで、忘れたくないからこそ、余計にそう感じるのかもしれない

あとpanpanya先生の本、装丁や紙質、オビといった部分にも、同人誌時代から一貫した手作り感というかこだわりが感じられて好き

オビ

オビにある「楽園」の手描き広告がとても良い

前から思っていることだけど
自分が何かを感じたり気づいたりする、というそのこと自体に気づく、というのは結構大変だなと思う
私個人の話だけど、自分がどう感じているか、本当はどう思っているかを脇に置いて生きがち
「あっ、私は今…○○についてこう思ったぞ」というのを常に意識して、自覚して生きる…
大変じゃないか?
そのこと自体も大変だし、そうすることである種の生きる困難さみたいなものが生じないか?
え?むしろこれが人生か?
みんな私が思ってるよりも普通にできていたりするんだろうか

作家とか芸人さんとか役者さんとか、表現をする人は結構意識的にメモしたりしてるのかも
私も、そういう気づきを漫画に描きたくて少しメモしてるけど、結局意識できずにぼんやり生きてしまってる部分もある
本当はそこまで興味のないものを周りに影響されて買ったり、見たりして、踊らされたりする
(困ったこと?に、これはこれで楽しさもあったり、楽だったりもする)
あと、「自分は本当嫌だけど、世間ではこれくらいのこと我慢したほうがいいっていうから……」と、自分を見て見ぬフリしてしまうこともある
怒っているのに怒っていないふりをしたり、嫌だけど協力したり、おかしくないけど笑ったりする
そういうことが続いていると、どっかの地点で「ギエーこんなのは自分じゃない!」って思ってしまうんだよな

生き物が生きていくのに、嗅覚や味覚や痛覚が必要なのと同じように
自分はどんな気温が心地よくて、どんな色が好きで、どういうものには興味が無くて、何が嬉しくて、どんなことには怒りを感じるのか…と自覚するのって大事だ
それを周囲に表明するかどうかはまた、個人の自由だけども
自分が感じることに耳を傾けて、そこを掘り下げていくだけで、日々って変わるし、輝いたりすると思う
いろんなものに振り回されて、流されて生活する中で忘れちゃうけど
そしてそうやって過ごすことで、自分と同じくらい、他の人が感じることに耳を傾けるのも大事だと気づくはずだ